書道用の墨の色は茶と青

書道用の墨の色は大まかに分けると茶色と青色に分類されます。製法自体には大きな違いは無いのですが、原料によって色の違いが生まれます。

茶色の墨は「茶墨(ちゃぼく)」と言われ、菜種油・胡麻油・桐油などの油を燃やして煤(すす)を採る事から「油煙墨(ゆえんぼく)」とも言われます。この場合の桐はタンスに使われる桐とは別物の「支那油桐(しなあぶらぎり)」で、その実から採れる油は揮発性が高く、様々な用途で使われますが、現在は輸入品がほとんどです。これらの油で作られる墨は高価なので、重油や軽油・灯油などの煤から作られる安価な墨もあります。一方の青色の墨は「青墨(せいぼく)」と言われ、主に赤松を燃やして煤を採る事から「松煙墨(しょうえんぼく)」とも言われます。松の木に傷を付けてしばらくおき、ヤニの出た松材を燃やした物を「生松(いきまつ)松煙」、枯れた松の松材を直接燃やした物は「落松(おちまつ)松煙」と言います。

 

 墨の色の違いを比較 

 

 

 

 

 

 

 

墨の色の違いをご覧下さい。上段が茶墨、下段が青墨です。濃く磨ってしまうと墨の色の違いはあまり感じられませんが、薄く磨った場合は明らかに色の違いが分かると思います。

墨は前述の煤に膠(にかわ・動物の骨や皮や筋などに水を加え煮沸抽出した動物性タンパク質)の溶液を混ぜ練り合わせるのですが、この際の膠の分量により滲み方が変わります。

膠の量が増えると濃墨の時の黒味は減少しますが淡墨にした場合には滲みが多くなり色が冴え、きれいな墨の色を表現出来る様になります。また、膠の量が少なくなると運筆が軽くなり、黒味が増しコントラストの効いた表現が出来ます。

煤と膠の練り合わせは、墨の良否を決定する重要な作業で、よく練るほどノビのよい書きやすい墨が出来ます。

 

 墨の歴史 

墨は今から約2200年前、漢の時代の中国で発明されたと言われています。日本では「日本書紀」に記載されている墨の記録が最も古く、610年に高麗の僧・曇徴(どんちょう)が来朝した際に、「松煙墨」の製法を伝えたとのこと。昔は読み書きの出来る人が少なかったため、身分・教養の高い人しか使えない貴重品でしたが、写経をする寺社で墨づくりが盛んになり、奈良の興福寺では菜種油の灯明から出る煤を利用した「油煙墨」がつくられるように。その時代に都があった奈良を中心に、墨づくりは徐々に近畿地方を中心に増えていきました。江戸時代には庶民にも文字の読み書きが普及して全国へと広まりました。

今日現存する最古の墨は、正倉院に保存されている中国と朝鮮の墨で、この時期の墨は朝鮮を経てきた墨であると言えます。ですが、推古天皇の時代になり中国の仏教文化の影響を受け、日本でも写経などが盛んに行われるようになったため、輸入だけでは需要に追いつかず製造をするようになりました。古くから墨づくりが行われている奈良には、最盛期には40軒を超える墨屋が構えられ、特産品としても知られるようになりました。