文字(書道)には6つの書体があります

タイトルで「文字には6つの書体があります」と申し上げましたが、これはあくまでも大まかに表現したもので、正確にはもっと多くの書体があると言っていいでしょう。その6つの書体とは、漢字では「楷書」「行書」「草書」「隷書」「篆書」の5つ、それに日本独特の書体である「かな」を加えて6書体となります。

 

楷書

行書

草書

隷書

篆書

かな

 

 

上の写真は、本學院で年に4回実施される検定試験で使われる各書体のお手本です。左上から「楷書」「行書」「草書」「隷書」「篆書」「かな」となりますが、漢字の5書体は全て同じ文字が異なる書体で書かれています。

なんとなく読める物もあれば、想像もつかない物もあると思いますが、これを最初から読める人は皆無です。学習を進めてゆく事により徐々に読める様になって行きます。

また、「楷書」をくずした物が「行書」、更にくずした物を「草書」と考える方がおおくいらっしゃるかと思いますが、漢字(書体)の出来た歴史は「篆書」→「隷書」→「草書」→「行書」→「楷書」の順となります。

 

  【篆書】   現時点で最も古い漢字とされいる書体で、現存する物としては、紀元前14~前11世紀にわたる殷(いん)王朝晩期の遺跡から出土された、亀の甲や獣骨に刻した占いの記録(甲骨文)があります。ついでほぼ同時代の青銅器に鋳刻した銘文、「金文(きんぶん)」があります。「金文」は次の西周・東周時代にも用いられ、さらには戦国時代や秦の始皇帝時代の「石刻(せっこく)文字」や度量衡器の刻文があり、下っては漢代の器物の銘文や印章の文字に及びます。その後も様々な変化をしながら使われてきた篆書ですが、紀元前4~3世紀頃に秦の始皇帝が中国を統一した際に、皇帝の権威を知らしめることも兼ねて漢字の統一も図り、それまで使われてきた篆書を「大篆(だいてん)」とし、統一後に公式の文字として制定された篆書を「小篆(しょうてん)」としました。

 【隷書】 中国では漢代(前202~後220)に正式書体として用いられました。秦代までの篆書が縦長で、静かに無表情なのに対し、その篆書から生まれた隷書は扁平で、一字のうちの一横画は大きくうねって右にはね出しているのが特徴です。20世紀初頭以降の考古学的発掘により、「木簡(もっかん)」や「竹簡(ちっかん)」、「帛書(はくしょ)」などが発見され、隷書が戦国時代後期に発生し、秦代から前漢初期にかけて成長したことが知られるに至りました。紀元前60年代の紀年のある木簡にはすでにりっぱに完成した隷書が見られます。一般に、初期の比較的に素朴な隷書を「古隷(これい)」といい、動きのある完成した隷書を「八分隷(はっぷんれい)」といって区別することがあります。後漢末の140年代から180年代にかけて立てられた石碑に、美しく成熟した隷書の諸相をみることができます。今日でも、新聞の題字や看板などにしばしば用いられています。

 【草書】 もっとも簡略化の進んだ書体。前漢時代(前202~後9)に正式書体である隷書と併行して、草書が日常早書きの書体として使用されていました。これは文献上だけでなく、西域地方から発掘された竹簡や木簡の遺品でも実証されています。また、草書の中には明らかに篆書から作られたと考えられるものもあります。草書の形や筆勢に工夫が加えられ、洗練されて芸術的な美しい姿に発展したのは、晋代から南北朝時代にかけてのことでした。唐代には「狂草(きょうそう)」という奔放な草書を書いた長旭(ちょうきょく)や懐素(かいそ)が現れ、明代末期には王鐸(おうたく)や傅山(ふざん)などが多数の草書を続け書きする「連綿草(れんめんそう)」をよくしました。

 【行書】 行書は草書と同じく隷書から派生した書体です。楷書とは違って点画の連続や省略が見られますが、草書のように楷書とかけ離れた字形になるということもありません。行書は速筆向きでありながら読みやすいという行書の長所を併せ持った書体です。楷書と草書の中間と思われがちな行書ですが、成立時期に関しては楷書とほぼ同時期かやや先に誕生したと考えられています。古代中国では同じような筆記体でも草書が手紙などで使われ、より砕けた筆記体である一方で、行書は公務文書や祭礼の文書などより厳粛な場で使われる書体であると考えられており、随・唐時代にかけては標準的な書体となりました。東晋時代の能書家で「書聖」称された王羲之(おうぎし)によって完成したとの見方が一般的です。

 【楷書】 楷書は、漢代の標準的な書体であった隷書に代わって、南北朝から随・唐にかけて標準となった書体です。行書が確立した時代に発生したため、これらの中では最後に生まれたとされています。唐時代までは「楷書」とは呼ばれず、「真書」「正書」と呼ばれており、書体の名称として「楷書」という用語が普及した時期は宋時代以降です。 現時点で最古の楷書は、1984年に発掘された呉時代の墓から発見された名刺とされています。しかし、それ以後も、隷書と楷書の両方の特徴をもつ中間的な書体が並行して行なわれ、これを今隷と呼ばれます。楷書が洗練されたのは、初唐の太宗の時代であり、優れた能書家が多数輩出されました。その多くは、石碑の拓本として現代に伝えられています。